妄想限界



命は有限だと、人は有限だということを時々忘れてしまう。

きっと私は罰当たりだ



亡くなったと聞いた時いつもハッとする

いつも隣にいるような気がして私は何も疑わない。会話としようと思って横を向くと当然のように私の隣は誰もいなかった。私はあまり人の目を見て話すことをしないから気づかずそのまま話を続けてしまう。


空は繋がっているって誰が言ったの。
あの人が住むところと私の住むところの天気も気温も湿度もなにもかも違うのに誰が空は繋がってるって言ったの?遠くその先の空が繋がっていたとしても見えない。私には上手く見ることができない。見えないものを上手く信じることができない。


ふと、会いたいなって思った人がいた。時間がない生活の中でふと会いたいなって思った。会えるのか会えないのか今何をしてるのかとかそんなことはどうでもよくて、ただ会って笑いながらくだらない話をして欲しいって思った人がいた。それがちょっと意外な人だったから自分の中で少し驚いた。いつから連絡を取っていないのかも覚えてなくて履歴を見たら、半年前以上前にお昼ご飯を食べただけでそれっきりだった。

あの時は半袖を着ていた。
あの時は髪が長かった。


今はコートを着てマフラーをしている。
髪も切ってしまった。


私の求める頻度はいつもこのくらいなのかもしれない。


私の求められる頻度もいつもこれくらいだったらいいのに。


人の命の短さを曖昧に気にせずに生きてしまう罰当たりな私なのに、どうしてだか人との関係が日常になってしまうことが怖くて、日常を失ってしまうのが怖くい。私だけの生活のリズムや精神のリズムを崩さないように怯えながら過ごす毎日にいつか終わりがくる日がくるのだろうか。


なんだかつじつまが合わない

いつもなんだかつじつまが合わないんだ。








東京



見たくないもの聞きたくないものは全部黒い瓶に入れて口を閉じてしまえばいい


いきなり震えたiPhoneも前よりかは上手く話せたと思う。前よりかは上手く終われたと思う。
また何ヶ月も連絡こないことも慣れてきたし、私から連絡することはきっと今までもこれからも無い

多分、私が生きていればそれでいいんだと思う。生きてるか死んでるのか元気なのか度々思い出したように気になって連絡を飛ばしてみて生きているならそれでいいみたいな。本当の意味は本人にしかわからないしその気持ちを読み取ろうとするのはとても難しいことで多分それはきっと必要ないことなので私はもうあまり気にしないようにしてるけど(気にしないようにするのも上手くなってきた)本当によくわからないけどなんか不思議な関係になってしまった。もう触れ合うこともないし、直接会うことも、声を聞くこともないのかもしれないのに。

でも、生存確認を度々してくれる人ってそんなにいるもんじゃないし、私はきっと恵まれている、いや絶対恵まれている。それが彼女とのデートの後でもセックスの後でもわたしの知ったことではないし、終わったら遊んであげるねっていう365日24時間の上から目線も私が一番心地いいことを知ってるし、遊ぶ気がさらさらないことも知ってる。

その瞬間のその行為がこの先未来でなんの意味を持たないものになっても、私はなんとなくそれでいいと思う。なんとなく今日だけは頑張れる気がする。

でも昨日と今日はきっと私はきのこ帝国の東京をずっと聴いてるんだろう。

今立ってるところから上見上げて最近何してるんだろうと思ってみるんだろう。

その行為が未来で意味を持たないものだとしても私は何度も何度も東京を思い出す。


非日常的な刺激は時々でいいと心底思う。わたしの神経はもうずっとは震えない。







マーメイド




失くなった生活に慣れるのがおそらく人より早くて自分では無意識だけどそれによって傷つけてしまう人もいるのかもしれないと思ったらなんだかやっぱり人生は難しい。私だって失くした時は誰よりも辛かったはずなのに。理由を並べる準備をしてしまうなんてひどく滑稽だ。


もう少しあと少し私は私であるために四捨五入よりもっとたくさんのことを手放して生活をしなければならない。気がついたら1月が半分終わっているような生活をしている。

私は未だに生活が上手にできない。

きっとこれからももっと不器用に生きていく。





ほんとはね




誤解を招いてしまうSNSなんてもう全部辞めてしまいたいなんて思っていたけど、誤解を招いてしまうんじゃなくて私が誤解してしまうSNSが嫌いなんだった。

君のこと知りたいんだけど、私のこと知ってほしいんだけど、SNSという手段では決してまっすぐには届かないから




また一から気合い入れ直して
自分らしく、作り上げていこう。
今年はほんとに感情が忙しかった。今年も、かな。



ただ悔しい。ただそれだけだ。


私がいいと思うものを君はいいとは言ってくれない。




私が愛したい人と、私を愛してくれる人は違う。


とてもシンプルなことです。


私は愛してくれる人を何倍も愛するようにしたい。

もう期待するのも待つのもうんざり。
友達とか男女とか関係ない。
私があれやこれややってることに対してそれで満足しないで欲しい。当たり前にしないで欲しい。

私はいつも思ってた。
恋愛以外で思うことはないと思ってた。


私を大事に思ってくれる人がいることにもっと目を向けて恩返しをしていかなきゃならない。


とてもシンプルなことです。


来年はもっともっとシンプルに行きます


ほんとに



来年私はそんな年にしたいです。



年末に駆け込みでこんな感情になるなんて。とても悲しいけど新しい幕開けができそう。













ちくちくする



また、ちくちくする。












知らないでいることが怖かったのに、今は知ることがこんなに怖いなんて



私はいつでも欲深い女だ。

大好きな小説がなくなった。ハイドラ。今読みたかった。私の逃げる場所はいつも小説。いつでも小説。


春が始まるとともに私は一旦日本から出る予定だし大丈夫。きっと大丈夫。



もう指が細くなってしまって指輪はぐすぐすだし指輪をする生活にはもう戻らない絶対に戻らない。

でもなんでこんなに急に心細くなったんだろうなんでこんなに誰にも会いたくないんだろう。逃げたい。逃げたい。

冬のせいだよっていう一言で片付けられたらこんなに苦しくないのに



タイムシャワー




今年で6年目になるパソコンが壊れてしまったらしい。真っ暗になったままウィーンという音だけ流れてびくともしない。

もっと困ると思ってた。

もっと焦ると思ってた。

最近パソコンから離れた生活を送っているのが理由なのかもしれないけど(実際パソコンに触れたのは半月ぶりくらいだった)


たくさんの音楽のデータが入っているのだけど、それなりの写真のデータが入っているのだけど。


本当に大切な音楽はちゃんとCDとして形になっているし、本当に大切な写真は印刷してある。(家が燃えればそんなものも全て燃えてしまうのだけど)

iPhoneにある写真のデータもバックアップがとれないと思うと何を一番に印刷しかいのか考える。

私はたった一枚だけ印刷しようと思った。





それが今の私の答えなんだろう。



再結晶




今年の春、ふと君を想ったことはとても自然で私の心の中に何も違和感がなく溶けていったそれは気体のような液体のような私の身体の中へ消えていった。

確かに私は今年の春、君を想い出した。


もう冬が来ようとしてるのに、あの時の溶けていった気持ちが言葉がみるみるうちに形になってチクチクと痛みだした

3年もの間(3年なのかもしくはそれ以上なのかももうわからない間)君のいない生活を送っていたのに、どうしてこうも一瞬で私は弱くなれるのだろうか一日一日がとても痛く感じてしまうようになるのだろうか



君が私の住む所へ帰ってきた


という刺激は予想を超えた威力で私に突き刺さった